"絆" KIZUNA プロジェクト 2010 報告
Peace Field Japan は、2010 年8 月に、" 絆" KIZUNA プロジェクトを行いました。
プログラム概要
1) 参加者:
イスラエルの高校生女子4名、指導者1名
パレスチナ(西岸)の高校生女子4名、指導者1名
日本の16才から19才の女子4名
2) 開催地:山梨県北杜市、小菅村、東京都内
3) プログラム概要
期 間:8月7日~20日
場 所:山梨県北杜市、小菅村、東京都内
参加者:イスラエル、日本、パレスチナの16~19才の青少年各4人
主 催:認定特定非営利活動法人PEACE FIELD JAPAN
助 成:独立行政法人国際交流基金、財団法人小佐野記念財団
協 力:財団法人キープ協会
後 援:外務省、文部科学省、小菅村役場、小菅村教育委員会
協 賛:東京海上日動火災保険株式会社、横浜南ロータリークラブ、株式会社アンサーコーポレーション、有限会社サステイナブル・デザイン研究所
物品協賛:株式会社東あられ本舗、アールジープロデユースジャパン株式会社、インド&パキスタンレストラン スルターン、新亜細亜貿易株式会社、株式会社はくばく、日本ミルクコミュニティ株式会社
4) 日 程:
8月 8日(日)成田着 清里高原へ移動
8月 9日(月)講義、アイスブレーク、酪農体験、ナイトハイク
8月10日(火)幼稚園児との交流、小菅村に移動、オリエンテーション、生活のルール作り
8月11日(水)村の子どもたちとの交流、長作集落散策、家族/暮らし紹介
8月12日(木)農作業体験、心の痛みのシェアリング、そばせんべい作り体験
8月13日(金)山登り、ホームステイ
8月14日(土)音楽プログラム、お祭り
8月15日(日)音楽プログラム、ミニコンサート、スポーツ
8月16日(月)源流の森と水を考える(雄滝、下水処理場、林廃センター)、間伐体験
8月17日(火)わらぞうり作り体験、そばうち体験プログラム後のアクションプラン作り
8月18日(水)オープンハウス&お礼の会(中東の文化、料理紹介と成果報告会)
8月19日(木)東京へ移動、フェアウェルパーティー
8月20日(金)帰国
プログラム内容
8月8日(日)
日本人参加者が成田空港で出迎えた後、清里のキープ協会に移動し、プログラムが始まりました。
8月9日(月)
キープ自然学校の小西さんのアイスブレークのプログラムで一気に打ち解け、酪農場で乳搾り、子牛に飲ませるミルク作り、バター作りを体験しました。夜は牧草地でろうそくをともして一人になって自然を感じるプログラムを行いました。
8月10日(火)
聖ヨハネ幼稚園を訪問し、それぞれの参加者のコミュニティの子どもの歌を紹介、未来の担い手である子どもたちと園庭で元気に遊びました。小菅村に移動し、45 畳の部屋で一緒に寝泊まりする、12 人の共同生活がスタートしました。オリエンテーションでプログラムのねらいや取り組みについて確認し、それぞれのプログラムでの目標を共有し、共同生活をする上でのルールを全員で決めました。
8月11日(水)
日本の山村に共通する、地域の課題についても学びました。また、お互いのバックグラウンドを知るために、学校や友達、家族、家などの写真を見せながら発表しあいました。それまで持っていた相手の暮らしに対するイメージとの違いに気づくことができました。
8月11日
各自が持ってきた着古した T シャツで、布草履の作り方を村の"先生"から教わりました。2012年に参加した福田さん(今年から小菅村の地域おこし協力隊として移住)も、立派な講師の一人です。参加者たちは、四苦八苦しながらも根気強く、色とりどりのオリジナル草履を作り上げました。午後は、前日夕立で中断したそばまきの続きです。そばをまき、そっと土をかぶせました。畑作業の後は、守重さんご夫妻が丹精込めて育てた様々な野菜をその場でほうばりました。採れたての野菜のおいしさと、農薬や化学肥料を使わずに野菜を作る苦労話に、守重さんの愛を感じました。夜は、浴衣姿で橋立地区のお祭りに行きました。地区の方々が代々継承しているお神楽に、伝統の継承とコミュニティのつながりを感じました。舞台に上がって子どもたちが企画したゲームに参加する参加者も。
8月12日(木)
イスラエル人参加者とパレスチナ人参加者が、個人として向きあい、それぞれの悲しい体験、つらい体験を話し、聴くことで、それぞれの心の中にある痛みに寄りそい、共感しあうことができました。
日本人参加者は、イスラエル人とパレスチナ人の先生たちから、現地の情勢について、話を聞きました。この対話によって、お互いに、"相手を同じ人間としてみることができるようになった"、"聴いてくれたことがうれしかった” と参加者間の距離が縮まりました。 夜は里山講座を行い、日本の里山の価値、日本人のライフスタイルや社会の変化が里山に与えた影響などについて学び、四季の里山の風景のスライドショーを見ました。
8月13日(金)
8月14日(土)
8月15日(日)
8月16日(月)
8月17日(火)
地域の方々から、わら草履とそば打ちを習い、日本の伝統文化を体験しました。細かな作業に悪戦苦闘しながら、今年は土台となるひももわらを使い、全員がわら草履を編み上げました。昨年の参加者がまいて、スタッフが収穫したソバを使ってそば打ちをし、味わいました。伝統文化の視点から、それぞれの文化の共通性や、伝統文化を継承していくことの大切さを考えました。
また、プログラムで学んだことを、それぞれの地域に戻ってどう活かすか考えるために、行動計画を作りました。各グループで、期間ごとに目標を定め、発表しあいました。
8月18日(水)
8月19日(木)
東京に移動し、フェアウェルパーティーを行いました。このプログラムのためにご協力、ご支援下さった方々をお招きし、プログラムの報告や、参加者への修了証の授与を行い、各参加者が感想を述べました。最後は、別れを惜しみました。
8月20日(金)
解散、帰国。
関連の活動
1) ”平和の文化”講演会/報告会
2) イスラエル、パレスチナへのスタディーツアー(2011年3月)
参加者からのメッセージ
私たちは、どう人が自然と持続可能な暮らしを保てるのかを学び、社会への責任を担っていること、お互いに気遣うこと、共感すること、尊重しあうこと、そして、平和への希望、自然と共にある平和、自分たち自身との平和、お互いの平和があることも学びました。
この信じがたいほど素晴らしかった短い2週間、私は、もう一つの家で、もう一つの家族と過ごしている自分を発見しました。小菅村の寺子屋やキープで、私たちそれぞれが一歩一歩を積み重ねている間、そして、今日のこの瞬間も、このプログラムの大きな成功を見いだすことができ、私たちにとってまたとない機会となりました。
この機会を作ってくださったみなさまに、心からの感謝を申し上げます。これだけは申し上げておきたいのは、このプログラムは今回、何か新しい大きなものに成長する、素晴らしい種をまいたということです。
スタッフのみなさん、忍耐強く私たちを見守ってくださってありがとうございました。これからもよろしくお願いします。
"絆" KIZUNA プロジェクト2010 を終えて
ローラ・ヴィラヌエバ(Peace Practitioner)
イスラエル、日本、パレスチナの参加者たちは、12 日間にわたる有意義で、人生観が変わるほどの体験を共にしたことで、愛、相互の信頼、尊重に基づく友情を築くことができた。
参加者たちはまた、地球環境を共有していること、それぞれの未来をも共有していることを学び、体験し、一つのグループとして自分たちの将来について考えることができた。12 日間でどうしてこのようなことが達成できたのだろうか。
日本の清里高原と小菅村は、参加者たちに、一つのグループとして共有できる“ 場” を提供し、その“ 場” で一緒に何かをできるというメッセージを伝えた。参加者たちは、お互いの信頼関係によって日々の暮らしが成り立っている地域の人たちに受け入れてもらったことによって、お互いの信頼関係に基づく“ 暮らし” が可能なこと、一つのグループとして、その“ 場” に存在できることを感じ取った。地域の人たちの暮らしの中の“ 絆” を学び、様々な体験活動を通して、地域の人たちと触れ合うことで、一つのグループとして築いた絆の概念を自分のものにすることができたのである。
参加者たちが学び、体験した「持続可能性」は、地域の人たちとの絆でもあり、共有する地球環境の中での様々な絆にも目を向けることができた。 また、同時にPFJ は、共通する土台を作り、知識を共有するためのツールとして文化と伝統を用い、参加者個人のレベルにおいても、またグループ全体においても、新たに見いだした意味、実践、経験を合体させるプロセスとして文化を活用した。参加者たちは、“ 新たに共有した日本の文化”を体験することによって、そしてその“日本の文化” によって、お互いの絆を深めることができたのだ。 文化をツールとして使うことについては、もっと説明が必要かもしれない。
文化は、参加者たちの関係が最も微妙な時期に、有効に機能した。今回のプログラムに、イスラエル人とパレスチナ人の参加者が紛争について話す時間を一つの手法として組み入れた。この手法は、イスラエル人とパレスチナ人参加者が、お互いの心の痛みを共有することで、関係を深める機会を提供した。このシェアリング(心の痛みの共有)は、とても難しいものだったが、参加者たちのこれまでの辛い経験を解き放つものとなった。このシェアリングによって、すぐに参加者たちの間に変化がみられ、お互いの絆は、日ごとに強まっていったのだ。この変化は、参加者たちが学び、体験した絆によってのみ可能になったわけではなく、ツール、プロセスとしての“ 文化” によるところが大きい。
参加者たちは、“ 新たに共有した日本の文化” を分かち合うことでシェアリングができたといえる。新たな文化による価値と態度を共有しながら、お互いに向き合ったことで、とても深いレベルでのシェアリングができた。そして、この後のプログラムで、“ 文化” は、さらに参加者間の関係作りを促した。PFJ は、文化をツールとプロセスとすることに意味があることを示したのだ。 平和構築においては、多岐にわたる、複雑な人間の経験に対処するために、可能な限り多くのツールを必要とする。
PFJ は、近い将来、平和構築の分野に大きく貢献しうる、有望で、変革力のあるツールを築きつつあるといえる。この先駆的な試みは、将来、日本と中東の橋渡し役になりうる、イスラエル、日本、パレスチナの青少年の人生に影響を与えたといえよう。